つまんない授業を聞いているときと、自分の好きなことをしているときの時間には明らかに、時間の長さの差を感じる。だらだらと長い時間と、気づいたらもう終わっている時間。
時間は、実在はしていない。けど、実際はある。
うちらが時間としているのは、世界で共通認識されている「時計の時間」。けど、その時間自体を進行させているのは、時間の概念ではなくて、うちらの体験とか、でっかくいうと社会活動とかだよね。
じゃあ、時計の時間ってのは、うちらが体験する(される?)時間と対応してるかって言ったら、それは違うと思う。
体験する(される)時間って、その時間は、感情と知覚で変わるから。それに対して時計の時間は一定に、まじめに時を刻んでいくから。それにそもそも体験する(される)人が各個人で感じる時間と、世界の誰にでも与えられる制約の意味を持つ、時計の時間は違うし。
時計の時間ができるまでは、体験する時間と時計の時間の間には距離なんてなかったんだろうね。現代では、時計の時間を、私たちの道具として使って、一分一秒でも無駄にしないようにせわしなく行動してしまっている。だから、もともとあった体験の時間のほかに、そこから新たに時計の時間ができて、その結びつきがよわくなってしまったんだよね。
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