2011年4月26日火曜日

世界の端で泣いているみたいに。

陸前高田市は私の出身地である。今回の東日本大震災で名が世に知れわたるとは思っていなかったし、とっても悲しいことだと思う。

知り合いの人がたくさん亡くなった。
この前、2回目に高田に帰ったときはその一人の火葬だったんだ。
心が震える。
私なんかが、泣いていいもんじゃないって思って我慢してたけど、結局そのご家族の前で泣いてしまった。
その家族の人は、泣いていたけど、笑っていたのに。
私には、どう声を発すればいいのかわからなかったし、言葉も出てこなくて。ただうなずいたり、泣いたりしかできなかった。
なにもできなかったくやしさとか、なにも声がかけれないことのむなしさとか、よくわからない感情がごちゃごちゃ襲ってきて、表現していい言葉が見つからなかった。

その火葬後
帰ってきて、どっかでやっぱり落ち込んでる自分がいた。
泣いても晴れない気持ち。そんなの当たり前で。
人には笑ってねって言えるのにね。

復興しましょうってレベルじゃないんだよ。
本当に。
言葉にできない。

きっとこの日記に書いてることで、全然伝えられない部分があるんだ。
本当はこう言いたかったわけじゃないことも、この日記には書いてる。
自分でもまとめようと何度もしているんだけど、まとまんない。
なんともいえない、表現できない気持ち。表現できない感情。
ずっと気を引き締めてないと、泣きそうになるんだ。

晴れることはない気持ちだ。

そしてさ、やっぱり、大震災っていうけど、私はさ、陸前高田が地元で出身でさ、本当にさ、区別とかさ、してる場合じゃないんだと思うんだけどさ。
高田を優先的に考えてしまってさ。広く被災地っていえない部分があってさ。本当に心汚いって思うけど、正直、高田。
それでさ、高田に対してこれから自分できることって何だろうっておもうんだよね。長期的にさ。
同級生の案としては応援幕プロジェクト(実行した)、アルバムのデータ化、前の町なみのアルバムの作成、学生服支援・・・・。
じゃあ、私自身は?

まだ見つからない。なにができるのか。
学生の間にっていうよりも社会人の間にでもできるもの。
まだまだまだまだ。

高田の復興にはかかわりたいけど。
たぶん、一回自分は東北からでるんだ。
遠くからでもできること。



なんだろう。

1 件のコメント:

  1. ずっと長期的にできるんであれば、何でもいいんじゃない。その出来事を忘れないように何かの支援を継続的に行うことが一番難しくて、でも、高田にとって一番嬉しいことやと思うよ。

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